
②セラピストになる
~~プロフィール②~~
私がセラピストになるまで。
家族構成
1979年の冬に私は生まれました。
趣味&仕事人間の父。
ひたすら優しい母。
8つ年上の姉、
4つ年上の兄、
私は末っ子として、 とても可愛がられていたと思います。
歳の離れた姉がいるので、
幼稚園の頃から トレンディドラマを見たり、
恋愛もののドラマが大好きな、
すこしおマセな(死語?)子供でした。
姉の影響で、
マッチ(近藤真彦)がかっこいいとか、
中山美穂が可愛いとか、
ダブル浅野に憧れる~~とか、
言ってました。
(若い人には伝わりませんね。汗)
同年代の友達でも
「?????」
となるような発言だったようです。笑
ちなみに、
私が小学生の時のアイドルはウインクや光ゲンジです。
小学生の私が感じた恐怖
そんな私が小学4年生の時、 父親が倒れました。
地方の出張先で 心臓発作を起こしたんです。
連絡を受けた母は、 不安が隠しきれずうろたえていました。
関西に住んでいたのですが、
母一人で出張先の静岡へ行き、
子ども三人で数日間のお留守番。
父は1か月もの間 静岡から帰宅しませんでした。
「お父さんは死んじゃうんじゃないか・・」
「シンキンコウソク?!心臓が止まったって!?」
「どうしようどうしよう・・・」
あまりにも不安過ぎました。
ですが、その後父は一命をとりとめ、
元気に帰ってくることができました。
すごく元気に帰ってきて、 こっちがびっくりするぐらいでした。
前と違っていたのは、
頭が真っ白になっていたこと。
心臓が止まって、 一気に白髪が増えたみたいです。
小学生だった私は、
とにかくお父さんが生きてくれていることが
嬉しくて嬉しくてたまらなかったです。
父の変化と娘の気持ち
心筋梗塞から、趣味&仕事人間だった父親の行動が
ガラリと変わりました。
前までは、
土日は家にいないのが当たり前。
子供が寝てる間に仕事へ行き、 子供が寝てから帰ってくる。
運動会や参観日は不参加。
近所付き合いは極力避けたい。
家族でお出かけもほぼゼロ。
そんな父でした。
こどもたちに関わるのは いつも母一人。
ですが、 心筋梗塞で一命をとりとめてから、
父は家族と過ごすことが増えてきました。
とはいっても、 末っ子の私が当時小学四年生です。
兄は中学生。 姉はもう18歳です。
ずっと家にいなかった父親と今更
「遊びたい」とは思わない年齢です。😑😑
だから、 父が「週末どこかに行こう!」と言っても、
着いて行くのは、母と私だけでした。
子どもながらに、
「切ないなー・・・」
「お父さん、さびしいやろうなー・・・」
と悲しい気持ちになったことを覚えています。
そんな父の変化の数ヶ月後、
会社から父に単身赴任の辞令が出ました。
私は
「お父さんは子どもが3人もいるのに、
一人だけで離れて暮らすなんて、寂しすぎるでしょ」
と言って、
「ついていきたい!!!」 と言いました。
頭の中では、父と二人暮らしをする妄想ばかり していました。
(お料理ができるようにならないといけないな)
(掃除も洗濯も私がしないと)
( 転校生ってどんな気分かなー)
(友達できるかな)
そんなことを思いながら、
父に着いていく覚悟がしっかりできていたんですが、
結局は却下されて、 父は単身赴任をしました。
家族みんなで、単身赴任先への引っ越しを手伝った後、
父だけをおいて家に帰るのが、 悲しくて悲しくて、
でも素直に泣けなくて、 ずーーっと手を振る父の姿を鮮明に覚えています。
さらに家族を襲う悲しいできごと
母と子ども3人で平日を過ごし、 週末には単身赴任先から毎週帰ってくる父。
そんな生活が始まって数年後、 母の糖尿病が見つかりました。
母の勤め先の健康診断で見つかったのです。
しかも、状態がかなり悪く、 【即入院】でした💧
病気知らずで、寝込んだことのない母が
いきなり入院だなんて、、、
ショックだったけど、
父の病気のことがあったから、
妙な免疫ができていたのか、
すごく冷静だったのを覚えています。
当時の私は中学2年生。
少しの反抗期もありました。
だから素直に”心配”できなかったのかも。
父は単身赴任。
母は入院してるし。
子どもたち三人で数ヶ月間、生活しました。
私の中学は給食がなかったから、
姉がお弁当を入れてくれることになりました。
学校でのお昼ご飯は、
姉のお弁当と、学校で買うパン。
半々くらいでした。
周りはほとんどの子がお弁当だったし、
「お母さんが入院してて・・・」 て言うと、
【かわいそうに】 って目で見られるのが嫌で、
すごく親しい子以外には 母の入院のことは黙っていました。
そういえば、
1度、姉のお弁当に衝撃を受けたことがありました。
私のお弁当箱は2段の物だったんですが、
1段目はご飯。 2段目がおかず。
そのおかずが、 コロッケで埋めつくされていたんです。
2つに切ったコロッケが4切れ。
つまり、コロッケ2個。
もちろん野菜も何もない。
ふりかけも何も無いただの白ご飯。
以上。
恥ずかしくてフタで隠しながらお弁当を食べました。
姉も、妹と弟と3人で過ごす事に 負担が大きくなっていたのでしょう。
とても大変だったと思います。
当然、姉に何も言いませんでした。
文句を言えるような状況でもないし、立場でもない。
今思えば、
「お弁当も自分で入れなさい!」 とも思うんですが、
末っ子なもんで、 根っから他力本願なところがあったんでしょうね。。
「誰かが何とかしてくれる」という強い強い思い込み。
ダメダメな甘ったれです。😫
その後も母は入退院を繰り返していました。
最長で半年間の入院もしました。
お正月も病院。。
ちょうどその時に私の成人式があったんです。
母は、着物の着付けができるんですが、
「私が着付けをしたい!」と言いました。
でも病院側は一時帰宅もさせてくれなかったので、
仕方なく病室で。。。
朝一で母の病室に着物を持っていき、
母に着付けをしてもらいました。
早朝の病棟に 振袖の女の子がいるなんて、、
すれ違う人にはかなりビックリされました。笑
看護師さんたちは事情を知っていたので、
たくさんの人に
「おめでとう~」って言ってもらいました。
ちなみに、
糖尿病って2種類あって、
1型糖尿病と2型糖尿病があります。
世間の糖尿病の多くは、
2型糖尿病で、 「生活習慣病」と言われていますが、
母は1型糖尿病で、
どうしてなるのかは、はっきりとしていません。
遺伝でうつるものでもないそうです。
母は、私が結婚するときに、
相手や、相手の両親に自分の病気の話をします。
そして、 「これは、遺伝しない病気なんです」 と。
つまり、
娘である私にも、 いつか生まれてくるかもしれない孫にも、
うつることはないから安心して、
という事が言いたいんでしょう。
胸が痛くなります。
母は、1日3回365日。
自分の体に注射器で投薬(インスリン)しています。
もう、何年になるんだろう。。20年以上か・・
これが一生続くんです。
一生治らない病気だから。
こうしないと生きられないから。
この病気と一緒に生き続けるしかありません。
低血糖になり意識を失い、救急車で何度運ばれたことか…。
もう数えきれません😟
ややこしい病気なんですよ、ほんと。
こうして両親の健康が損なわれていく姿を見て、
【健康の大切さ】 を嫌でも
何度も何度も考えることになりました。
両親の病気から私が起こした行動
病気の両親のおかげか?
介護の仕事に興味がわき、
ホームヘルパーの資格をとったりもしました。
日常で目にするのは、
むくんだり、 身体がダルかったり、
どんどん体力が落ちていく母の姿。
たまにマッサージすると、
すごく喜んでくれて、
「ラクになった~~~~♪」
「足も肩も軽い~~~~♪」
って言われるのが嬉しくて、
「私の手を使って、疲れている体を楽にしてあげたい」
という思いが強くなっていきました。
それで、セラピストになったんです。
他のお仕事も色々したけど、 なんだかんだ結果的に、
セラピストの仕事を1番長く続けてきました。
私には向いていたのかもしれません。
今も実家に行くと母にマッサージをします。
夫の実家でも、お義父さんやお義母さんにマッサージします。
身体に触れるコミュニケーションって、
お互いのぬくもりが伝わるから 良いものです^^
たくさん話さなくても、 グっと距離が縮まる気がする♡
セラピストになってからの変化
家族が一人でも体調不良だったりすると
心が落ち着かないし、心配で、
居心地悪くなっちゃうじゃないですか。
現在、私には3人の子どもたちがいます。
子供が風邪ひいて寝込んでるときなんか、
「変わってあげたい、、 けど、どうしようもない・・嗚呼😭」
って思うし、
体調がすぐれていないと、
楽しいものだってちゃんと楽しめないんですよね。
生理痛がひどい時って、
意識はとにかく
「腰イテー」
「頭イテー」
「おなか重ーー」
「骨盤ダルーーー」
ってなりますよね。
とにかく全然楽しめない。
そんな状態が続くと思ったらゾっとします。
私はあまり生理痛がない方ですが、
それでもたまに生理痛があると、 めっちゃしんどいです。。
で、セラピストとしてたくさんの方と関わっていく中で、
新たな発見があったんですよね。
【心と体は繋がっている】という感覚。
心が元気じゃないと、身体もダルくなるし、
身体が元気じゃないと、心も低下する。
という、シンプルで当たり前のような気づき。笑
心の元気をキープ出来たら、 身体も一緒に活力UPするやん! と。
そう思って、私自身を思い返してみたわけです。
私は心配症で、すぐ不安になるし、
自分に自信が持てなかったから、
何をするにも人からの評価が気になって仕方なかった。
完全に他人軸でした。
自分の意見を後回しにして、
自分の意見を大切にしてなかった。
こうなると、無意識にストレスが溜まります。
「私」がずーっと無視されている状態。
ここを解消するために、
重い恋愛観を見直したり、
自己否定の気持ちを矯正しました。
そのためにたくさんの本を読んだし、
自分に向き合いました。
少しづつ変化が表れて、 ジワジワと自己肯定感が上がってくると、
自分の心の声に敏感になってきます。
私はどう思っているのか、 どうしたいのか。
これが分かるとすごく楽になってきます。
病気を引き起こす最大の敵!
“ストレス”
もずいぶん減ってきます。
元々自己肯定感低めだった私にとって、
すべての充実度が段違いに上がったんです。
友達といても楽しいし、家族といても楽しい💛
自分の時間を大切にできるようになってきます。
ストレスの種は人それぞれ違うけど、
自己肯定感が低かった私にとって、
心のストレスが消え去ったことは
人生を変えるほど大きな事です。
ストレスになっているものを自覚して、
そのストレスを消すための努力。
これが当時の私にとって、
自己肯定感を身につける、という事でした。
その後、
2度結婚し、 3人の子どもたちを出産し、
様々に状況は変化してきましたが、
「あの時しっかり自分に向き合って良かった」 😌
と心底思います。
今も、新しい悩みは出てくるし、
上手くいかないことは山ほどあるけど、
知識を得たり、柔軟に考えたり、、
と対応していけば大丈夫!
と思えるようになりました。
世の中知らない事だらけで、楽しいです✨
私の知識や経験が、 今現在悩んでいる誰かの役に立つなら、、
と思いながら、このブログを更新していこうと思っています。

